加津佐からバスで島原へ戻ります。途中から普賢岳と平成新山が見えだした。朝は快晴で、山頂からの水蒸気も見えたけど、だんだん雲が増えてきた。
水無川から平成新山を見ます。20年前の火砕流や土石流の後が残っています。
航空写真。真ん中の緑の山(眉山)がその下方の島原市の中心地を守ったことが分かります。
「みずなし本陣ふかえ」には、土石流被災家屋保存公園があります。平成噴火は、1990年11月に始まり、1996年の噴火終息宣言までの長い災害でした。
Pyroclastic flows happened more than 10000 times.
普賢岳の火砕流は1万回以上あったそうです。上が噴火前、下が噴火後。
次に、雲仙岳災害記念館を訪れました。
ここには、大火砕流の時の遺品や、疑似体験シアター、火山の噴火と予知などの展示がありました。
展望台からは、天草が見えます。
平成新山と眉山が見えます。
I headed to the central of Shimabara city by free bus.
無料シャトルバスで、島原市内へ向かいました。土石流後の地域は、道路が整然としていました。
Our bus ran Shimabara Mayuyama Road which was built in 2000. I could see Heisei Shinzan closer.
「島原まゆやまロード」は噴火活動後に作られた道路。平成新山が近くに見えます。この辺りには、約780軒の家があったとか。
火砕流と土石流後には、少しづつ木々が増えてきたそうです。大きな噴石もたくさん見えました。
4 件のコメント:
すでに、草木が生えてきていましたか。災害が起った荒地はやがて緑の地面に代わっていく。これだけでも元気が出ますね。天気も良さそうだし、実りの秋もよかったですね。
あの大噴火からもう20年も経ったのですね~!
原爆ドームの保存のように
被災の姿が保存されているのですね。
人間の力では止めようがない火山の噴火ですが、できるだけの方策を講じて、もし起こったとしても被害ができるだけ小さくてすむようにしたいものです・・。
tetuさんへ。
火砕流後の草木がなくなった場所に、自衛隊が種を空から蒔いていると、無料シャトルバスの運転手さんが言われてました。そのおかげもあって、緑が増えてきているとか。
土石流後も、今では畑もあって実りの秋です。
まりあさんへ。
あれから、もう20年とはビックリでした。阪神大震災よりも前だったのですね。
この何もない場所には、何百軒の家があり、家畜たちも暮らしていたなんて、、、災害の大きさが思っていた以上だったことにもビックリでした。
あの大噴火からは、警戒区域や報道のあり方などが変わったようですね。防災の対策と、人びとの意識が大切ですね。
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